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Wondrous Oblivion 素晴らしきボンクラ

イギリス映画 (2003)

1960年という微妙な時代を舞台に、クリケット少年とジャマイカ黒人一家との交流を描いたハートウォーミングなドラマ。1958年8月30日から9月5日まで続いたノッティング・ヒルの人種暴動〔Notting Hill race riots〕では、「テディボーイズ〔Teddy Boys〕」と呼ばれる白人労働者階級の若者3-400人が、西インド諸島からの黒人移民の居住地を襲撃した。背景には、移民の増大で職を奪われた白人労働者階級の怒りがあり、1960年代になってもその傾向は続く。一方、この映画の主人公の一家はユダヤ人。第二次大戦の最中に1万人弱が難民としてイギリスに来たうちの2人が父母になっている。彼らも、白人労働者階級からは快く思われていない(反ユダヤ主義〔Anti-Semitism〕)。白人の貧しい労働者階級が集中して住む南ロンドンの一角に、ユダヤ人の一家がジャマイカ移民の一家と隣り合って住むというシチュエーションの中で、好かれていないユダヤ人と、嫌悪されているジャマイカ人が、クリケットの練習をキーワードにして結びつく。その発想が実に面白い。クリケットがまるで出来ないくせに大ファンになっている少年が、隣に引っ越してきたジャマイカ人が裏庭に作った練習用のクリケッネットを見て、矢も盾もたまらずに教えてもらいに行く。そして、クリケットがどんどん上手くなる。しかし、この映画の主題はクリケットではない。描いているのは、地域の中で浮いてしまった2つの家族の思い、テディボーイズの1人による嫌がらせ、ふとしたことから2つの家族間に生まれた悲しい亀裂などなど。そうした社会派的な側面にこそ、この映画の存在意義がある。残念なことは、脚本にいろいろな点で無理があり、筋の展開に不自然さが目立つことと、主役を務めるサム・スミス(Sam Smith)が大根役者という点。ある程度は監督の指示かも知れないが、無表情もここまで徹底すると、観ていて腹立たしくなる。『素晴らしきボンクラ』という標題は、そっくりサム・スミスに進呈したい。

1960年のクリケット・シーズンが始まり、デイヴィッドが通う家から遠く離れたパブリック・スクールでも、シーズンに向けて新しいキャプテンが選ばれる。クリケットカードの収集が趣味で、入学してクリケット部に入ったデイヴィッドだが、実技経験はゼロなのと、その空想癖で始終ぼんやりしていることから、「素晴らしきボンクラ」というあだ名を頂戴し、選手ではなくスコアラーに「抜擢」される。屈辱的な出発だ。デイヴィッドは、父母が第二次大戦中にヒットラーのユダヤ人迫害から逃れてイギリスに移住し、貧しい労働者階級の多く住む地区のテラスハウス(煉瓦造2階建ての長屋)に住んでいる。近所のうるさ方からは、ユダヤ移民ということで一段格下とみなされている。デイヴィッドが遠くのパブリック・スクールに通っているのは、「自分のような暮らしを将来させたくない」という親心だったが、デイヴィッドにはその認識がない。それでも、目立たず平和に暮らしていたワイズマン家に大きな波紋が押し寄せる。隣に住んでいた家族が引っ越し、代わりに、自治領・西インド連邦(現・ジャマイカ)から来た移民のサミュエルズ家が入ることになったのだ。まだ、ノッティング・ヒルの人種暴動の衝撃が濃厚に残る時代で、黒人に対する偏見は強く残っている。地区住民にすむ貧しい労働者階級の白人にとっては、自分達の住環境が侵される重大事でもあった。しかし、ユダヤ移民のワイズマン一家には、そのような排斥意識はなく、特に、サミュエルズ家の当主デニスが、裏庭にクリケットの練習用のネットを作ってからは、そこがデイヴィッドにとって垂涎の場所となった。最初は家族に内緒で練習をさせてもらったデイヴィッドは、デニスや、練習相手の娘のジュディと親しくなっただけでなく、クリケットの腕もめきめきと上達し、スコアラーから正選手に取り立てられる。そして、最初は母が、最後には父もそれに感謝するようになる。しかし、周辺の住民、特に、テディボーイズの孫を持つ一家にとって、サミュエルズ家は憎しみの対象でしかなく、そこと仲良く付き合うワイズマン家も唾棄すべき家族だった。両家には嫌がらせの手紙が入るようになる。そんな折、デイヴィッドの誕生日パーティが自宅で開かれ、多くのクリケット部員が招かれたが、その場で部員が口にした黒人への差別発言(一言のみ)を気にしたデイヴィッドは、プレゼントを持って玄関にやって来たジュディを追い払うように帰してしまう。怒ったサミュエルズ家はデイヴィッドと絶縁する。数日後、真夜中にサミュエルズ家が放火された時、いち早く気付いたデイヴィッドがジュディに急を知らせて、全員の命を救う。ワイズマン家一家は、父のたっての希望で中産階級の住む地区の戸建て住宅に引っ越すことになるが、父は、燃えたクリケットの練習用ネットの再建に尽力し、一方、デニスも、ジャマイカ出身で旧知のトッププレイヤーを招いたピクニック・パーティにデイヴィッドたちを招待する。

サム・スミスは、出演時13歳〔メイキングの中で自らそう言っている〕。映像では、それ以上に見えることも多い。それは、表情が「堅い」からだろう。デイヴィッドの生真面目で不器用でクリケットにしか興味がないような性格を演じているせいか、実に魅力のない少年になっている。サムは、TV映画も含めて出演は2本だけ。この作品の4年前の『Oliver Twist(オリバー・ツイスト)』では、タイトル・ロールのオリバーを演じている(下の写真)。『オリバー・ツイスト』は、あらゆる文学作品の中で最も多く映画化された小説だが、この1999年版のオリバーは魅力の低いオリバーの1人。この作品ほど「非人間的」ではないが、子供らしさに欠けている〔1番上手なのは、2007年版のWilliam Miller〕。因みに、1999年版は非常に特異な作品で、ExxonMobil Masterpiece Theatreが30周年を記念して作成した386分もある3部構成の超ロング版だが、その第1部が、何と、原作にない「なぜ、オリバーが不幸に誕生したかの理由を創作した『オリバー・ビギンズ』」に割かれている。いずれ紹介する予定。
  


あらすじ

1960年5月。デイヴィッド・ワイズマンは、ロンドンの北西部にあるヘンドン地区のパブリック・スクールに通う11-12歳の少年〔1959年9月入学の際は11歳〕。クリケットが大好きでクラブに入っているが、練習中に「自分が試合で大活躍する」白昼夢の状態になってしまう。打たれたボール〔茶色の革製〕が自分の方に転がってくるが、みんなから「起きろ!」と叫ばれ、ハッと気付いた時には、もう間に合わない(1枚目の写真)。「またか!」の声が上がる。教師が「オーバーだ」〔6球投球してボウラー(=投手)が交代になる〕と宣言。デイヴィッドが、拾ってきたボールを持って中央にあるピッチの近くに行くと、次のボウラーに促されてボールを渡そうと放る。しかし、投げ方も下手なので中間点にボトリ〔デイヴィッドはバッツマン(=打者)としても、ボウラーとしても、フィールダー(=野手)としてもダメ〕。教師はデイヴィッドに、「楽しんでるか?」と訊く。「はい、先生、とっても」(2枚目の写真)。「素晴らしい〔Wondrous〕。じゃあ、持ち場に戻れ」。その後姿を見ながら、教師は「素晴らしきボンクラ〔Wondrous oblivion〕だな」と独り言。それが、デイヴィッドのあだ名になった。
  
  

次のシーンで、デイヴィッドはヘンドンから鉄道に乗っている(1枚目の写真)。列車のタイプが地下鉄仕様ではないので、今ならテムズリンクだろうが、1960年代末までテムズ川の下をくぐるスノー・ヒル・トンネルは貨物専用だったので、どの鉄道に乗っているかは定かではない。向かっている先はテムズ川の南。1960年代には典型的な下町だった所だ。今でも、直通で40分はかかるルートをなぜデイヴィッドが毎日通学しているのか? それは、ヒットラーのドイツから逃れてきたユダヤ人の貧しい両親が住みついたのが南ロンドンの安いテラスハウス〔連続住宅〕で、父は布地を売る店を開いているが、息子のデイヴィッドには労働者階級から抜け出して欲しいという強い希望があったため。だから、デイヴィッドが、せっかく「入れてやった」パブリック・スクールで、クリケットにうつつを抜かしていることには反対だ〔ドイツ出身のユダヤ人なので、クリケットへの関心はゼロ〕。デイヴィッドは、駅を降りると、自宅に歩いて向かう(2枚目の写真、矢印は自宅)。一連のテラスハウスの一番隅の家だ。しかし、その先にも別のテラスハウスが続いている。デイヴィッドは自分の部屋に入ると、宝物のように集めているクリケットカード〔各選手の写真が1枚に1人印刷されたカード〕を並べ、カードの選手に話しかけて遊んでいる。デイヴィッドの隣の家が引っ越すことが決まっている。そこで、近所のうるさ型のデブ女〔最低の人物〕がやってきて、後に誰が入居するか知っているかと訊く。デイヴィッドの母が知っているはずがないのだが、大家がユダヤ人なので、「お仲間」同志で通じていると思われている。夕方になり父が帰宅する(3枚目の写真)。写真の上部に写っているのが玄関のドア。ドアを入ると、そこは廊下で、いわゆる玄関のスペースもない。いくらロンドンとはいえ、テラスハウスの住環境の悪さが一目で分かる写真だ。ここには一応照明器具が付いているが、キッチンには天井に裸電球がぶら下がっているだけだ。
  
  
  

隣の一家が引っ越して行く。Glückstein一家だ。「stein」が付いていることから、ドイツ系ユダヤ人だと分かる。これで、デイヴィッドの一家は、同一民族の臨人を失うことになる。この時、一家を前に、父がデイヴィッドに向って、「皆さんは、持ち家に移られる」と話す。これは父にとっての夢でもある。「もっといい隣人が持てるし、大きな木もある」。学校に行ったデイヴィッドは、他のクラブ員と一緒に部屋に集められ、新しいシーズンのキャプテンが昨年活躍したジェイムズ・リースに指名される。クリケットはイギリスの国民スポーツなので、そのクラブの活躍は学校の誉れでもあることから、ジュニアチャレンジカップでの優勝を目指すよう訓示される。そして、ピュー先生が明日メンバー表を発表することも〔試合に出場する選手は11名、試合中の交代は1名のみ〕。学校の帰り、父の店で、デイヴィッドがウッドベリーという老紳士から、クリケットカードを買っている。出されたものはみんな自分のものにし、「君のお父さんより、満足させるのが難しい〔hard to please〕」と言わせる。どうして父の店で販売しているのかよく分からない。タダであげているのかもしれないが、全部終わってから、「これは持ってないだろう」と言って見せ、「店のおごりだ〔On the house〕」と言ってプレゼントするので、最初の分は販売したのだろう。次は、デイヴィッドの自宅で。狭い部屋に4人が入り、母がミシンでクッションカバーを縫い、父はそれを手伝っている〔一種の内職〕。母は、日中、うるさ型のデブ女のことでイライラして、デイヴィッドにクッションの中味を投げつける(1枚目の写真)。父は、「気にするな。ここはイギリスだ。民主主義の国だ」と慰める。会話の隙を見て、デイヴィッドは、「リースが、クリケットのキャプテンになった」と話すと(2枚目の写真)、クリケットのことなど何も知らない父は、「なぜお前が選ばれなかった?」と気のない返事。話題はヒットラーからイギリスの民主主義に戻る。そして、明くる日。デイヴィッドのポジションは何とスコアラー。補欠選手ですらない。クリケットの服を着なくてもいいとまで言われる(3枚目の写真)。因みに、ボードの一番上の「Total」は、テームが獲得した「run(ラン)」の総数、「Wickets」は、テームが失ったウィケットの数、「Last Man」は、最後のバッツマンのランの数を示す。ランは、中央のピッチと呼ばれる長方形の芝生(20.12m×2.64m)で、ボウラーが投げたボールをバッツマンが打ってクリース間を走った回数。クリースは、ピッチの両端のウィケット付近にあるリターン区画、ウィケットは3本の杭で、そこにボールが当たるとアウトになる。他にもアウトになる場合は色々あるが、アウトになるまでバッツマンは何度でも打てる。
  
  
  

デイヴィッドが帰宅すると、隣の家への引越しが始まっていた(1枚目の写真、矢印は荷物運びとぶつかりかけたデイヴィッド。周りの人も様子を窺っている)。デイヴィッドは、じろじろ見るのは失礼だと注意されたので、自室からこっそり様子を窺っている。部屋の窓から見えるのは、どのテラスハウスにも付いている長方形の細長くて狭い裏庭。そこには、前の家族が中央にバラを植えていた(2枚目の写真)。手伝いに来た男が、「トイレはどこだで?」と訊き、「中だで」と嬉しそうに女性が答え、「冬にカゼ引かんでいいな」と男が言う。ジャマイカでは、トイレは屋外だったのだろう。デイヴィッドは、クリケットカードで遊び始める。すると、今度は、玄関のある通りからクラクションの音が聞こえ、母親と娘2人が到着する。迎えに出たのは、大男の父親。全員英語を話すが、文法はかなり間違っている。その光景を、周りの住民が出てきてじっと見ている。新しい住民はジャマイカ移民だった。解説で述べたノッティング・ヒルの人種暴動から1年8ヶ月。火種は残っていて、ジャマイカ移民に対する差別意識も強い。ユダヤ人さえ快く思わないこの地区の住民は、あからさまな敵意を持って引っ越してきた一家を迎える。夜は、引っ越してきた家から大音量の音楽が流れ、夕食の頃には母のイライラはピークに。父は、「荷解きしてるのさ」と言うが、母は、「歌って叫んで笑って」と不機嫌そのもの。娘が、「寝室3つしかないのに、何人暮らすのかな?」と訊く。父:「さあ、50人かな」。母:「何か、他のことでも話したら?」。
  
  
  

翌朝、デイヴィッドが学校に行こうとして母と一緒に外に出ると、ちょうどお隣の母親も外に出てきて顔が合う。母親は、娘2人を連れて挨拶に来ると、まず、昨夜の騒音のことを詫びる(1枚目の写真)。この常識的な一家はサミュエルズ。娘の名はジュディとドロシー。デイヴィッドは内気なので、「学校、どこに行ってるだね?」と夫人に訊かれても黙っている。「話したくないだでな〔Him don't want to talk〕」。夫人はデイヴィッドの制服を褒め、良い教育は大切だと言って別れる。3人が去ると、さっそく駆けつけたのが、右の家のヤセ女と、左斜め向かいのデブ女。デブ女は、「なぜ大家さんに文句言わないのよ、お仲でしょ?」と言う(2枚目の写真)。大家もユダヤ人だから、直談判しろという意味だ。母は大家を知らないし、ユダヤ人かどうかも知らないと答えると、ヤセ女が「確かよ。ユダヤ人だって聞いたわ」と言う。デブ女は「何てことした〔黒人に家を貸した〕のか教えてやらないと」「あたしはこの通りで生まれた。子供たちもね。あたしら貧しいけど、持ってるものは守らないと」と大家との交渉を母に強く催促する。一方、デイヴィッドの帰宅時、ウッドベリーがまたクリケットカードを見せている(3枚目の写真)。一番上は、ソバーズ(Garfield Sobers)〔現在、サーの称号を持つ英領バルバドス出身の選手〕、2枚目はワレル(Frank Worrell)〔死亡。サーの称号を与えられた英領ジャマイカ出身の選手〕〔クリケット選手でサーの称号を与えられた人は22人/俳優の76人よりは少ない〕。デイヴィッド:「すごいや。あなたって天才だね、ウッドベリーさん」。しかし、ウッドベリーは、自分で持ってきたくせに、「どうして、急にジャングル万歳人間になったんだい。つまり、こうした連中は、いわば陰の部分だろ?」と訊く。「でも、イギリスのチームだよ」。このカードのシーンをわざわざ入れたのは、デイヴィッドに人種的偏見がないことと、後でこの2人〔もちろん、本人ではなく、扮した俳優〕が登場するからだ。
  
  
  

その日の夕方、隣の裏庭でデニス(大男の名)が重いローラーで地面を均し、長女のジュディが庭箒で掃いている(1枚目の写真)。一点だけ変なのは、バラはどうなったのか、という点。バラは引っこ抜けるが、そこは円形の地面だった。万一、芝生の上に土が敷いてあった場合は、芝が変色しているはず。しかし、映画では〔特に次の写真〕芝生はとてもきれいな状態だ。翌日デイヴィッドが帰宅すると、デニスが塀際に等間隔に木の棒を打ち込んでいる(2枚目の写真)。そして、恐らく数日後、多くの隣人が注視する中で、高く並べられた木材の間に網が張られていく。網は、上部にも渡された。一番奥に3本の棒を立てようとしたことで、デイヴィッドはそれがクリケットの練習用ネットだと気付く。そして、デニスが投げ、ジュディが打つ(3枚目の写真)。これほど安全な練習場はない。
  
  
  

ネットでの練習を目にしたデイヴィッドは、夕食の準備をしている母のところに駆け下りて行き、「クリケットのネットだ」と興奮して話しかける(1枚目の写真)。次のシーン。デイヴィッドが父と一緒にシナゴーグでの礼拝に出かけた折、父は、隣にいた男性から「新しいお隣さんはどうだ?」と訊かれる。「誰から聞いたんだ?」。「小鳥さ。黒い鳥だがな」〔差別発言〕。「問題なんかない」。その日の夕食時、母は、「話しかけられたら ちゃんと応対しなくてはいけないけど、その時だけよ〔as far as it goes〕」と隣人に対する対応の仕方に念を押す。一見、人種無差別に見えた父も、「我々と同種の人たち〔our kind of people〕じゃないんだ。いいな?」と釘を刺す(2枚目の写真)。「背を向けなくてもいいが、仲良くする必要はない」とも言う。翌日、デイヴィッドがクリケットカードと遊んでいると、デニスがジュディを教えている声が聞こえてくる。すごく丁寧な教え方で、デイヴィッドがこれまで一度も見たことのないものだった〔デイヴィッドは、誰からも指導を受けたことがないので、スコアラーにしかなれなかった〕
  
  

親子の練習を見ていて矢も盾もたまらなくなったデイヴィッドは、クリケットの服装に着替えて自分の家の裏庭に現れ、隣をじっと見ている(1枚目の写真)。それに気付いたデニスは、「プロみたいだで」と声をかける。ジュディは、「一緒にやる?」と訊く。頷くデイヴィッド。「こっちに来て、どんなか見せてくれるだ」。そして、塀を超える前に、「母さん、こんこと知っとるだでな?」と念を押す。頷くデイヴィッド。これは嘘だ。デイヴィッドはサミュエルズ側の裏庭に入る。「で、お前さんの名は?」。答える前に、ジュディが、「デイヴィッドね?」と訊く。デニスを見て、「はい」と答える。「巨人を殺したんは、デイヴィッドだったよな?」〔ダビデとゴリアテ〕「じゃあ、俺とやってみるだか〔have a go at me〕」。デニスは、さっそくデイヴィッドをウィケットの前に連れて行き、バッツマンをさせる。格好からして当然上手だと思っていたが、バットにかろうじて当たったボールは後方に逸れる(2枚目の写真)。デニスは、バッツマンではなくボウラーだと思い、今度はボールを投げさせる。ところが、投げるボールはすべてとんでもない方向に(3枚目の写真)。これで、デイヴィッドが格好だけのずぶの素人だと分かってしまう。
  
  
  

デニスは、デイヴィッドに、「学校じゃ、コーチしてくれるだか?」と尋ねる。「選手ならコーチしてくれる」。「強いもん勝ちってか? それがお前さんとこの方針なんか? で、お前さん、選手なんか?」。デイヴィッドは、下を向いて、「僕、スコアラーなんだ」と恥ずかしそうに言う(1枚目の写真)。「スコアラーは、すっごく大事で、すっごく役に立つ仕事だでな。だけんど、プレーはできん。プレーしたいんだろ? 選手になりたい?」。デイヴィッドは熱心に頷く。デニスは、デイヴィッドに、「僕は、選手になりたい」と言わせる。「ゴールが分かってりゃ、より簡単に近づけるだでな」。そして、ジュディに、「この若いもんに、もっと練習させてみるっての、どう思う?」と訊く(2枚目の写真)。「いいわ」。そこで、デニスは、「あした、また来たいだか?」と尋ねる。「はい」(3枚目の写真)。映画の中で一番明るい表情だ。「んじゃ、明日、5時半ちょうど、いいな?」〔午後5時半〕。そして、全部着てくる必要はないと言うが、生真面目なデイヴィッドはその後もフル装備でやってくる。
  
  
  

翌日、帰宅後にさっそく練習が始まる。デニスの指導は、バッツマンから始まった。バットの持ち方から始まり、姿勢、バットをどう振るかまで丁寧に教える(1枚目の写真)。そして、ジュディには決めた位置にボールを投げさせる。この両手を持っての指導で、デイヴィッドはボールを前に転がすことができるようになる。デニスは、ジュディを慰めるのを忘れない。デイヴィッドの相手をする分、ジュディの相手ができなくなるからだ。その時、最も効果があったのは、恐らく、「おんなじ年頃の友達、欲しいだろ」というもの。ジュディのボウラー役はずっと続く。ジュディのボールに手が出なかった時は、「ボウラーは、いつも直球を投げるとは限らんでな。最後のはスピンしてたで」と教える。デニスが休憩でいなくなると、ジュディは、「なんで、クリケット そんなん熱心なの? 父さん教えんの?」と訊く。「パパは、クリケットしない。出身地ではやらないんだ。それに、店を持ってるし。いつか、クリケットカード見せてあげる。何百枚もあるんだ。サリー・チーム全員のサイン入りのバットも持ってる」。ジュディには、サリーの名前は通じない。彼女は、クリケットというスポーツが好きなのであって、どこかのチームのファンではないからだ。ジュディは、「パパとは4年も会えなんだ」と話す。「ママは一度会いに来た」。「誰が、面倒見てたの?」。「おばあちゃん」。「今、どこにいるの?」。「ジャマイカに帰った」。「僕には、おばあちゃんはいないんだ」。「なんで?」。「よく知らないけど、戦争中に殺された」。「ひどい」。「そうでもないよ。知らない人だから。パパは、会ったことのない人を寂しがる必要はないって言うんだ」。「寂しくないんなら、知らんでいいの?」。その言葉に、デイヴィッドはハッとして振り向く(2枚目の写真)。その時、デニスがもう終わりにしようとやって来て、デイヴィッドを家に戻す。そして、運悪く、裏庭に出てきた母とばったり会う。母は、まさか自分の息子がジャマイカ人と付き合っているとは思ってもみなかったので早々に家に戻すが、その途中でデイヴィッドとジュディは手を振り合っている(3枚目の写真、矢印)。2人がいなくなると、デニスは、「息子さん素質あんだが、少し磨かんとあかんで」と話しかける。そして、「練習したけりゃ、いつ来てもええだでな」と暖かく言う。母は、「どうもありがとう」と形式的に言い、早々に引き揚げる。
  
  
  

デイヴィッドは、母に、「サミュエルズさんは、僕をコーチしてくれてる。僕には、コーチが必要なんだって」と説明する(1枚目の写真)。「それで?」。「ジュディのおじいちゃんは、ジャマイカでプレーしてたって。あっちではみんながやってるんだ。女の子も」〔先に紹介したサーの称号を与えられたクリケット選手22人中10人がジャマイカ出身〕。母は、「誰が、お隣とプレーする許可を与えたの? お父さんに訊いた?」と非難するが、デイヴィッドは「とってもいい人たちだよ。マンゴーもくれた。メロンや桃みたいな味」と悪びれる様子もない。「私達を面倒に巻き込む気? 次からは、まず訊きなさい。分かったの?」。母の怒りはなかなか収まらない。しかし、その直後、「家の中に入っちゃだめよ。庭にいなさい」と言う。これは、練習の続行を認めたことを意味する。「庭にいれば、パパもだめとは言わないと思うわ」。次のシーンでは、父が窓から息子の練習を見ている。デニスの熱心な指導ぶりを見れば、黙認するしかない。ジュディの母が、休憩時間にとコーラを持って来る。そして、デイヴィッドに、「あんた、ユダヤの子なんだね?」と話しかける。「イエス様とおんなじユダヤの子と 付き合えるなんてね」。ジュディが、「ユダヤ人と会ったことないんよ」と説明する。「聖書の人たちだで。あたしたちに、創世記からルツ記までの旧約聖書をくれた人たち」。それに対し、デニスは、「子供は子供だでな。どの子も、クリケットのプレーの仕方を習う必要あるで」と言う(2枚目の写真)。しめくくったのは夫人。「お隣になれて嬉しいだで」。
  
  

デイヴィッドが、サミュエルズ家と仲良くしているのは、クリケット・ネットの反対側の裏庭から丸見えだ。デイヴィッドと母が、外出から帰ってくると、口うるさいヤセ女の家の前にいたデブ女が、ツバを吐いて立ち去る(1枚目の写真、点線はツバの飛んだ方向)。最大限の侮辱だ。デブ女の左に写っているのは、そのバカ息子。人種差別主義のテッズ族で、後で卑劣な行為をする最低の人間。デブ女よりはましなヤセ女は、「あんたの息子が、新入りと仲良くやってって聞いたけど」と詰め寄る。「勧めた訳じゃありませんわ」。「止めてもいないでしょ」。「私も移民なんです。移民を見下せなどとは言えません」。「移民全部のこと言ってるんじゃないわ」。デイヴィッドと母が、別れて自分の家に向かって歩いて行くと、いつの間にかバカ息子が門の前に先回りしていて、嫌味ったらしく門扉を開ける。ハッとして2人は立ち止まる(2枚目の写真、後方にボケで映っているのは、ヤセ女と、戻って来たデブ女)。母は、何も言わずに前を通って門の中に入り、門を閉めて玄関に入る〔門扉から玄関までは1~2mしかない〕
  
  

その日か翌日。デイヴィッドは父の店にいる。父の電話が終わると、デイヴィッドは、「パパ、家に帰っていい?」と訊く。「お母さんが店にいる間は、お前もここにいろ」。「でも、サミュエルズさんが待ってる。早番なんだ」。「お前、宿題はどうしてる? この数日、宿題やってるのを見たことないぞ! いい学校に行かせてるのに、お前は、早番のサミュエルズみたいに、工場で働くしか能のない人間になりたいのか、それとも、こんな店で朝から晩まで働き、切り刻んだ布を持って来て返金しろというばかな客にへいこらして過したいのか?!」(1枚目の写真)。この父は、「息子に良い教育を与え、ワンランク上の人生を歩ませたい」とする移民特有の意識に燃えている。人種差別主義者ではないのだが、クリケットに全く無縁のドイツからの逃亡移民のため、デイヴィッドがそんなものにうつつを抜かすことが許せないのだ。しかし、そう叱った後で、「分かった、帰りなさい。だが、彼がいなかったら、戻って来るんだ」と許可したのは寛容さの現われだ。デイヴィッドも「宿題は毎日やってるよ。ほんとだよ」と誤解を解くのに懸命だ。家まで走って戻ったデイヴィッド。次のシーンでは、さっそくクリケット・ネットの中で練習している(2枚目の写真)。最後に、難しいボールも見事に打ち返し(3枚目の写真、矢印は飛んだボール)、デニスから褒められる。練習は雨の日も続き、デイヴィッドと2人の姉妹だけの時もある。窓から練習風景を見る母の顔も、笑顔に変わっている。
  
  
  

そして、ある日、遂に、母が飲物を持ってやって来た。子供用にジュースが3つと、デニス用にビールだ(1枚目の写真、左端に母が映っている)。そして、次が、ボウラーとしての練習。デニスと並び、同じように動いて、投げるこつを教えてもらう(2枚目の写真、矢印は2人が持っているボール)。しばらく練習し、ジュディがバッツマンになり、デイヴィッドが1人で投げる。ボールは見事にウィケットに当たる(3枚目の写真、分かりにくいが、矢印はボール)。
  
  
  

練習が終わってデニスが片付けていると、母が「とても感謝しています〔I'm very grateful〕」と声をかける。そして、「お茶でもいかが?」と誘う。デニスは喜んで行くが、紅茶を出されたのは食堂ではなくキッチン。それでも、きれいだと褒める(1枚目の写真)。「若い娘さんみたいだで」。母は、若くして結婚したと話す。一方、キッチンのすぐ外の裏庭では、デイヴィッドがジュディに「お宝」のバットを見せている。以前、ジュディに話していたサリー・チーム全員のサイン入りのものだ。説明しないとジュディにはその価値が分からない。デイヴィッドは、過去3年間のチームの全試合のデータを書いた何冊ものノートを見せる。「あんた、クリケットにどっぷりね」。最後のシーンは、夜遅く帰ってきた父。キッチンには冷めた夕食が置いてある〔母は、待たずに寝たのだろうか?〕。問題は、その点ではない。父は、玄関を開けた時にドアの下に突っ込んであった薄青い紙切れを見つけ、キッチンに持ってきていた。一口食べて、その紙を開くと、そこには、「GET RID OF THE DARKIES(黒んぼどもを追い払え)」と書いてあった(3枚目の写真、矢印)。後から分かるが、書いたのはデブ女のバカ息子。この男は、デニスにも嫌がらせの紙切れを何枚も書いている。
  
  
  

翌日は雨。クリケット場に出ていたクラブ員たちは木の下で寒そうに雨宿り。横には傘をさしたピューがパイプを片手にどうするか考えている。脇には、デイヴィッドがずぶ濡れで立っている。「今日はもう、試合を再開できそうにないな、ワイズマン」(1枚目の写真)。デイヴィッドは、「先生」と話しかける。「もうスコアラーはやりたくありません」。「どういうことだ、ワイズマン? スコアリングが好きだと思ってたぞ」。「そうです。でも、プレーしたいんです」。「そうか? シーズンの途中なのに やっかいだな。まあ、よかろう」。そのことを報告しようとデイヴィッドが家に飛び込んでくると、母が洗濯機の裏で困りきっていた。デイヴィッドの顔を見て、神の助けとばかりに、デニスを呼びにやらせる。洗濯機は購入したばかりで、セッティングが間違っていたため、洗濯の途中で水が溢れ出していたのだ(2枚目の写真)。デニスは取り敢えず噴き出す水を止めることに成功。フロアに溜まった水をタオルで拭き取る仕事まで、嫌がらずにやってくれる。2人で掃除をしながら、デニスは「今度の土曜日、デイヴィッドがチャリティ来てもいいだか?」と尋ねる。「クリケット選手が2人、サイン会に来るだで」。「さあ、どうかしら。一人ぼっちでしょ」。「あんたさんも来りゃいい」。母は、喜んで行くことに。その時、デイヴィッドが、「ママ、僕、スコアラー辞めた。来週からプレーするんだ」と報告する。それを聞いたデニスは、「やったな、デイヴィッド」と言うと、濡れた手をズボンで何度も拭い、握手をしようと差し出す(3枚目の写真)。2人はがっちりと握手。「どんだけうまくなったか、みんなに見せてやるだ」。そして、土曜の話をする。
  
  
  

翌日の練習試合で、デイヴィッドに出番が回ってくる。部員の一人が「早くアウトになれよ、家に帰りたいから」と意地の悪い声をかける。ボウラーが投げ、デイヴィッドが打ちウィケットに向かって走る〔反対側の選手も同時に走る〕。そして、老齢のコーチが「オーバー」と宣言する。その時、スコアボードは、「Total: 66/Wickets: 9/Last Man: 12」。「オーバー」ということは、それまで投げていたボウラーが6球投球したことを意味する。すると、次回から別のボウラーが反対側のウィケットから投げることになる。ボウラーが交代してもデイヴィッドの好調は続く(1枚目の写真、矢印はボール)。どんどん得点が増えて「Total: 102」になったところで、寝転んで待っている部員から「どうなってるんだ?」という声が上がる(2枚目の写真)。そして、遂にデイヴィッドが打ち損ねたボールがウィケットに当たり、アウト。ウィケットキーパー(捕手)と、近くにいたフィールダー(野手)は「やった!」と大喜び。スコアボードの「Wickets」は38に変わった。この打席でデイヴィッドが上げた得点は38ランということになる。コーチは「大変によかった」と褒める(3枚目の写真)。そして、ピューに このことを伝えるとも。
  
  
  

デイヴィッドがサミュエルズ家に招かれて、『シャローム・アレーヘム(שָׁלוֹם עֲלֵיכֶם )』を歌うシーンがある。ここで改めて面白いと思ったのは、この歌の題名は、ヘブライ語で平和を意味する挨拶で、英訳すれば「Peace be upon you(平和があなたちともに)」となる。ところが、「Peace be upon you」はイスラムの普遍的な挨拶『アッサラーム・アライクム(السلام عليكم)』の英訳とも一致する。イスラエルとイスラム諸国は最近ぎくしゃくしているが、基本的な言語で一致しているとは思わなかった。ジュディの母は、その場に居合わせた家族の友人に、デイヴィッドに日曜学校での行事に参加してもらったらと声をかける。「それは光栄ですね」。言われたデイヴィッドは、そのことを報告しようと、ジュディと一緒に自宅に戻る(1枚目の写真)。そして、「ジュディにベーグル〔ユダヤのパン〕を見せていい?」と訊くが、折悪しく夫婦喧嘩の真っ最中〔母が新しいドレスを勝手に買った〕。次のシーンは、土曜日のチャリティ。入口に、ワレルとソバーズの写真が貼ってある。母とデニス、それに、デイヴィッドとジュディが一緒に会場に入って行く。母は新しいドレスを着ている。中は全員が黒人。デニスの顔を見て真っ先に声を掛けたのがワレル。デニスは、クリケットのスター選手と知り合いなのだ。デニスは、「この2人の若い衆に、いろいろ話して欲しいだで」と頼む。2人はワレルとソバーズの近くに行って、話に聞き入る(2枚目の写真)。一方、母は、最初はダンスに加わらなかったが、お酒が入り、曲にムードが出てくるとデニスと嬉しそうに踊る。体を預けた踊り方は、恋人同士のようだ(3枚目の写真)。その格好が、クリケットのバットの使い方を教えてくれた時に似ていたので、デイヴィッドは、「見て見て、デニスがママにバットの使い方教えてる」と言うが、デイヴィッドほど鈍感でもクリケット狂でもないジュディは、気分を害してデイヴィッドをダンス場から連れ出す。
  
  
  

その日の夜、一人で留守番をしていた父が電話で話していると、何者かがドアの郵便用の穴から青い紙を入れて立ち去る(1枚目の写真、矢印、ガラスにはしゃがんだ人影も)。先日と同じ 嫌がらせの紙だ。父は、すぐに受話器を置き、ドアを開けて外を見るが誰もいない。翌日は日曜、デイヴィッドはサミュエルズ家に行き、ジュディと一緒に宿題をやっている。ジュディ:「264」。デイヴィッド:「合ってる。ほらね、できたろ」。2人の仲はとてもいいが、デイヴィッドには “coming of age” の兆候は一切見られない。「これ知ってる? 下品だけど」と言い、歌を口ずさむ。「ヒトラーのキンタマは1つだけ〔1923年11月9日にドイツ闘争連盟を率いて起こした争乱の罪で逮捕された際、11日の収監時に医師の検査を受け、「Gefangenen-Aufnahmebuch(入所記録簿)」に「Kryptorchismus(停留睾丸)」と記載されている〕。ゲーリングは2つあるがすごく小さい。ヒムラーのはだいたい同じ。でも、哀れなゲッベルスはキンタマがない」。第二次大戦中に英国兵士の間に広まった歌だ。それを聞いたジュディは別の歌を口ずさむ。「1つ、2つ、3つ、ちっちゃな真っ黒な醜い人形〔golliwogs〕。4つ、5つ、6つ、ちっちゃな真っ黒な醜い人形。7つ、8つ、9つ、ちっちゃな真っ黒な醜い人形」(2枚目の写真)〔民謡『10人のインディアン』の人種偏見に満ちた替え歌〕。そして、「学校で、みんなが歌う。あたしがみんなの縄跳び歌 知んないから」とつぶやくように言う。ここでも、デイヴィッドは鈍感だ。歌の持つ意味には触れず、「君は、いろんなこと知ってるよ」と後半部分だけを慰める。「あたし、読み書きできる。九九言える。聖書も。山羊のミルク絞れるし、ドレス縫えるし、鋤(すき)だって使える。でも、あたしが何知ってるか誰も訊かない。誰も何も訊いてくんない」。
  
  

火曜日、デイヴィッドが部の掲示板を見に行くと、そこには試合のメンバー表が貼ってあった。6月17日(水)の午後2時半から始まる部内対抗戦のメンバー表で、書かれているのは1軍11名と2軍11名。デイヴィッドの名前は、2軍の7番目に記載されていた。2軍とはいえ、選手に選ばれたのだ(1枚目の写真)。そして、翌水曜日。デイヴィッドがバッツマンの番になると、1軍のウィケットキーパーが、「君の仕事はスコアリングだと思ってた。荷が重過ぎないか?」と皮肉を言う(2枚目の写真)。しかし、デイヴィッドは第1投を見事に打ち、フィールダーも取れない。ピッチを往復できたので2ランが入ったことになる。映画では、分かりにくいが、クリケットの場面は、途中から、その週最後の試合に変わり、デイヴィッドの「Wickets」は42となり、待機している部員から拍手が起きる。ピューは、「とても良かった」と褒める。そして、「最初の1週間見ていたが良くやった。ジュニアチャレンジカップにも出場できるだろう。我々の弱点はミドル・オーダー〔5~8番〕のバッツマンだからな〔ミドル・オーダーはオールラウンドプレーヤー向きの順番で、ソバーズは常に6番だった。因みに、デイヴィッドの1軍での順番は6番となるが、これは高い評価の現われ〕。君にやってもらう」と1軍の11人に入れると言ってくれる。デイヴィッドは他の部員から取り囲まれ、「ピュー先生は、何て言ったんだ?」と訊かれる。そして、キャプテンから握手され、チームの一員として迎えられる(3枚目の写真)。
  
  
  

デニスが、「次の段階に進む時が来たで」と言って、1冊の本を見せる(1枚目の写真)。C.L.R.James(1901-89)の『Beyond a Boundary』(1963)だ。この本は、クリケットの聖書とも言える本で、2013年5月にはグラスゴー大学で、出版50周年記念カンファレンスが行われ、同年に出版された50周年記念版に対し、アメリカの名門デューク大学の『Duke University Press』は、「one of the greatest books on sport and culture ever written(スポーツと文化に関して、これまで書かれた最も偉大な本の1つ)」と書いている〔如何に素晴らしいかは分かるのだが、映画の冒頭のデイヴィッドのナレーションでは、はっきりと「今」が、「1960 season(1960年のクリケット・シーズン)」だと言っている。1960年には1963年出版の本は存在しない!〕。デニスは、一節を引用する。「完璧な動きの流れの別名は、『スタイル〔style〕』、もしくは、『意味のあるフォーム〔significant form〕』である」〔『意味のあるフォーム』は、芸術の概念の一種〕。デニスは、分かりやすく、「ダンスや音楽みたいなものだで。リラックスして、心ん中で感じるだ」。そう言うと、リズムをつけてバットをゆっくりと振る(2枚目の写真)。「ボールを打つことなんか忘れ、自分を解放するだ」(3枚目の写真、矢印はバット、背後で父が見ている)。
  
  
  

サミュエルズ家の居間で、デイヴィッドがジュディとレコードを聴いている。最初かけていたのは、Mickey Katzの『Barber Of Schlemiel』(1枚目の写真)。次が、ジュディのお気に入りのThe Jiving Juniorsの『Sugar Dandy』。調子のいい音楽に合わせ、ジュディが踊り出す。そして、デイヴィッドを誘う。「僕、できないよ」。「何て言った?」。そう言うと、座っていたデイヴィッドの手を引っ張って立たせ、手を持って躍らせる。しばらくすると、手を放しても踊れるように(2枚目の写真)。翌日、自分の家には誰もいなくなり、サミュエルズ家も夫人と2人の娘が出かけたのを確認すると、母は一張羅を着て隣の玄関をノックする。ドアを開けたデニスは、夜勤の工場が終わって帰宅したところで、上はシャツ1枚だったが、中に招じ入れる。母は、お茶の用意をしているデニスの剥き出しの肩を手で優しく触る。手は胸から頬に移る。尋常ではないので、デニスは戸惑って作業を止める。母は、何とかデニスとキスしようとし、デニスも最後には軽くキスするが、やがて体を離し、「こんなこと、できないだで」と言って首を振る。「始める前に、やめんと」。「私が欲しくないの?」。「欲しいだが…」。その様子を見て、母は熱烈にキスし、デニスもそれに応える〔以前のチャリティの時はお酒が入っていたが、素面なのに、なぜ急にこんなひどい「浮気」を始めたかは分からない~かなり不自然〕。しかし、デニスはやがて顔を離すと、「俺たち、結婚してるだ」と理性を求める。母は、デニスの頭を両手で挟むと、じっと見つめて「愛してるわ」と言う(3枚目の写真)。「わかってるだ」と言いながら、デニスは完全に体を離した。
  
  
  

その日の夜、嫌がらせの紙は父の店にも入っていた(1枚目の写真、矢印)。そこには、「TIME IS RUNNING OUT YIDS(時間切れだぞユダ公)」と書かれてあった。次は、デイヴィッドが再び掲示板を見るシーン。それは、1軍とBISHAM ABBEY学校との試合のメンバー表で、デイヴィッドは先に触れたように6番だった。その夜、寝室で、デイヴィッドは、「まだ、パパを愛してる?」と訊く〔非常に唐突な質問〕。そんな質問をした理由を訊かれ、「いつも店にいる。絶対クリケットしない。デニスは上手だ」〔この部分、母とデニスとのキスシーンを含め、脚本が破綻している〕。デイヴィッドの部屋から出た母が、寝室を覘くと、父が絨毯に膝をついてブツブツ言っている。カメラは、父が絨毯で何をしているかを映す(2枚目の写真)。2本の短い丸棒が2本立っているが、これは2人のバッツマンだろう。そして、2本の丸棒の間(矢印)が、バッツマンが走る部分。上の丸棒(ストライカー=投球を打つ人)の右上の黒もしくは透明黒枠のボタンはウィケットキーパー(捕手)、下の丸棒(ノンストライカー=走る人)の周りの白いYシャツのボタンはフィールダー(野手)だろう。ボウラー(投手)のボタンはない。下の丸棒の下の普通の白ボタンが、位置からすればボウラーになる。ボウラーが投げたボールを上の丸棒のストライカーが打ち、転がったボールをフィールダーが拾う。その間に、ストライカーとノンストライカーが走って場所を交換する訳だ。父は、説明書を読みながらクリケットのイロハを勉強している。これは、息子のやっていることを認めた大きな証しだ。母が、ドアを閉めて部屋に入って来たことを示すと、父は、「コートのボタンを探してたとこだ」と言って誤魔化す。そこが如何にも父らしい。その夜、父母がベッドで寝ていると、家の壁にボールをぶつける音がする。目を覚ました父が、窓越しに覘くと、そこにはデブ女のバカ息子が立っていて、父が来たのを見ると、腕を真っ直ぐ父に向け、銃で撃つ真似をする(3枚目の写真、矢印)。これまでは匿名の嫌がらせだったが、これで牙を剥き出したことになる。
  
  
  

重要な転換点となるデイヴィッドの誕生パーティ。今やチームの重要な柱となったデイヴィッドなので、多くの部員がお祝いにやってくる。最初にやってきたのがローバーP5で母親に送ってきてもらった部員。それを見たヤセ女とデブ女のコンビは、「いまいましい上流人種だこと」とヒソヒソ話している。彼女たちは何に対しても文句しか言わない。運転してきた母親も嫌な人間で、お茶を断り〔労働者階級の家には入りたくない〕、車から降りもせずに去って行く。次に来た車には、部員が5名も乗っている。カメラに映ったのは、計4台。デイヴィッドの家の狭い居間は部員たちで一杯だ。デイヴィッドはみんなからプレゼントをもらう。この時、部員の誰かが、「見たか? デイヴィッドの隣の家に黒んぼ〔nig-nogs〕が住んでるぞ」と言う(1枚目の写真)。デイヴィッドが一番喜んだのが、キャプテンから贈られたローズ・クリケット・グラウンドで行われる国際試合〔test match〕の入場券。そんな時、ふと窓の外に目をやるとジュディが歩いて来るのが見える。デイヴィッドは、急いで玄関に向かう。ドアを開けると、きれいな服を着たジュディが立っている。何のために来たか知っているはずなのに、デイヴィッドは、「今はプレーできないんだ。今、友だちが来てるから。後でね」と、ドアを閉めようとする。先ほどの、「黒んぼ」発言が効いているのだ。それを聞いたジュディは、憮然とした顔になり、持ってきたプレゼントを「誕生日おめでとう」と言って渡す(2枚目の写真、矢印)。デイヴィッドは、一瞬ニコっとすると、急いで、締め出すようにドアを閉める。これで、ジュディは、自分が「歓迎されない存在」であることを思い知らされる。居間に戻ったデイヴィッドの前にケーキが持ってこられる。定番のお誕生日の歌。「♪Happy birthday to you. Happy birthday to you. Wondrous oblivion, dear Wiseman. Wondrous oblivion to you」と、絶不調だった時のあだ名を入れた替え歌は面白い。
  
  
  

その代償はあまりにも大きかった。パーティが終わってから、バットを片手に、クリケットの格好でサミュエルズ家の玄関をノックしたデイヴィッド。ドアを開けた夫人は、「あの子、今日は あんたとプレーしとうないって。これから先もずーっとだで。だから、どっか他でプレーすんだね」(1枚目の写真)。自分の部屋に駆け上がったデイヴィッドはベッドに伏せて泣く(?)。続いて学校での練習風景が写るが、フィールダーとして凡ミスが多い。家に戻っても、見えるのは、仲良くネット内で練習するデニスとジュディの姿。もう、そこには入って行けない。仕方なく、デイヴィッドは、クリケットカードで遊ぶが、どこか空しい(2枚目の写真)。翌日、学校での練習。今日はバッツマン。バウンダリーを超えた4ランの後は、野球のホームランのように、ノーバウンドでバウンダリーを超えて6ラン。絶好調に見えたが、その直後に打ったボールは、ウィケットを直撃してアウト。ピューからは、「少し不安定だな、ワイズマン。そんなことじゃ困る。まだ14ランだ。来週の土曜日には大事な試合がある。もっと冷静になれ」と注意される(3枚目の写真)。一方、父は、母を車に乗せてロンドン北部の住宅地に連れて行く。父には、今のお粗末な家を出て、よい環境の地区に建つ一戸建ての家に住みたいという夢がある。そして、今、それが叶おうとしているので、母を連れて家の物色に来たのだ。どの家も、テラスハウスに比べれば、すごく大きくて立派だ。
  
  
  

ローズ・クリケット・グラウンドでの国際試合をキャプテンとデイヴィッドが観戦している。イングランドが優勢の時はキャプテンは喜ぶが、デイヴィッドは元気がない(1枚目の写真)。デニスとジュディも芝生の上で観戦しているが、ジャマイカが優勢の時は大喜び(2枚目の写真)。デイヴィッドが2人分のソフトクリームを買いに来た時、そこでばったりデニスと会う。この場面、デイヴィッドもデイヴィッドなら、デニスもデニスだ。まず、デイヴィッドは、黙ったままデニスの顔を見るだけで何も言わない。普通なら、何か言っても罰は当たらないと思うのだが〔この映画で、一番魅力のないのはデイヴィッド〕。一方のデニス、「何見てるだ?」と訊く。デイヴィッドは黙ったままうつむいている。目線は、デニスが手に持ったビールのあたり。だから、デニスは、「お前さんにゃ飲む権利なんぞない。俺には山ほどあるがな。この糞溜め〔shit-hole: 某大統領が問題発言で使ったとされる言葉〕みてぇな国で生きてくのは大変なことだで」(3枚目の写真)。そして、走って逃げていくデイヴィッドの背中に向かって、「アイスを楽しむがいいで! 俺はやることがいっぱいあるで!」と怒鳴る。完全な訣別だ。ジュディがどのように伝えたのかは知らないが、デニスの行動も多分に過剰反応で、大人げないとしか言いようがない。
  
  
  

恐らく次の日、父がキッチンに意気揚々と入ってくる。「紳士淑女の皆さん 聞いて欲しい。お知らせ一つがある。今週、ヘンドンの家について契約を交わすことになった。2週間後には引越せる」(1枚目の写真)。ヘンドンは、デイヴィッドの学校のある場所だ。これから毎日長い間電車に乗らなくて済む。3人が嬉しそうに話しているのに、デイヴィッドは、「僕は行かない」と言い出す(2枚目の写真)。そして、何度も同じ言葉をくり返して自分の部屋に駆け上がる。部屋まで様子を見に来た父には、「僕は、お高くとまった北ロンドンの お高くとまった金持ちの子供たちなんかに興味ない。勝手に決めて! 動くもんか!」と反抗する〔だが、これも納得できない。現に、デイヴィッドはヘンドンの学校に通っているし、その子供たちを誕生日会にも呼んでいる。反対の理由は、①誕生日会での「黒んぼ」発言のお陰で、②ジュディの怒りを買って、③クリケットの練習ができなくなったからだろうが、②はデイヴィッド本人のせいで、部員のせいではない。それに、③が絶望となった今、この地区に友達一人いないデイヴィッドが残るメリットは何一つない。ここで、「反対させることが脚本上必要」だから、反対しているだけだ〕。デイヴィッドは父を押し出し、部屋に鍵を掛けて閉じ籠もる。そして、ベッドにバットを叩きつけ、「僕は、ここで初めて友達ができた。でも、追い払っちゃった! 父さんが追い払わせたんだ!」と叫ぶ。最後の言葉はひどい言いがかりだ。父は、「何てことを言う。私は懸命に働いてきたんだぞ〔I work my socks off〕」と反論するが、急にぎっくり腰になる。母は、週末にデニスとジュディに会えるよう交渉してみたら、と話しかけるが(3枚目の写真、廊下と部屋の両方を写したセットならでは構図)、デイヴィッドはそれも拒否。何もかも人のせいにして文句を言い、自分では何もしようとしない。最低の性格だ。
  
  
  

だから、事態を打開するためには、ストーリー展開上、放火事件を起こすしかなかった。真夜中に、何者かが、サミュエルズ家の玄関と裏庭のネットに缶から灯油(?)をまいている。そして、マッチで火を点ける。ネットは簡単に燃え落ち、煉瓦造のテラスハウスの1階にも火が燃え拡がる(1枚目の写真)。明かりで目が覚めたデイヴィッドは、クリケット・ボールを投げてジュディの部屋の窓ガラスを割る。そして、窓まで来たジュディに、「急いで、ママとパパを起こして逃げ出すんだ!」と教える(2枚目の写真、矢印は割れたガラス)。
  
  

次のシーンでは、火災は鎮火し(白い煙だけ出ている)、消防車が1台停まっている。デニスは、警察官のチーフに、「いつ、捜査を始めるだね?」と訊く。「何の捜査ですかな?」。「誰が放火したかだで」。「事故のように見えますが」。このバカ丁寧な言い方で自らの人種偏見を隠した警官は、①デニスの喫煙を疑い(一家全員が非喫煙)、②鍋の火の消し忘れを疑い(一家全員が就眠中)、挙句の果ては、③暖炉の火を疑う。要は、やる気が全くない(1枚目の写真)。デニスは頭に来て怒鳴り出し、チーフは落ち着けと大声で言い返す。デニスは、「証拠を見せてやるで!」と言うと、まだ煙の出ている建物内に入って行く。それにもかかわらず、警官は誰一人助けに行かない。警察の対応を批判的に見ていた父は、心配になり、デニスを捜しに中に入って行く。しばらくして、父に支えられる形でデニスが出てきた。手には、父のところにも来た薄い青色の紙を何枚も持っている(2枚目の写真、矢印)。そして、「これが見えるだか?!」とチーフに向かって投げる。それでも、チーフは身動き一つしない。そんな状況にあきれた父は、集まった付近の住民全員に、「あんたたち、恥じるべきだ。我々全員が恥じるべきだ」と語りかける。そして、チーフに、「あの2人に訊くがいい」と指差す(3枚目の写真)。「孫について訊くんだ」。そこに立っていたのは、デブ女とその夫(4枚目の写真、矢印)。父には、これまでの行動から、デブ女のバカ息子が犯人だと分かったのだ。
  
  
  
  

テラスハウスは貧相だが、分厚い煉瓦で出来ているので火災には強い。だから、サミュエルズ一家も、燃えた室内を片付ければ、そのまま住み続けることができる。そして、誰も怪我することなく脱出できたのは、デイヴィッドが素早くジュディに教えたからだ。だから、次に、デイヴィッドが玄関をノックすると、ドアを開けた夫人は、「デニスとジュディは裏だで」と言って中に入れてくれる(1枚目の写真)。2人は、燃えたネットの後片付けをしている。デイヴィッドは、火事のことも、ネットのことも言わず、いきなり、「僕の両親は、引越しのこと黙ってた。僕は、あなた達がいるからここにいたい。初めて持てた素晴らしい友達なんだ。パーティの時は本当に悪かった。僕がバカだった」(2枚目の写真、一応涙を浮かべてはいるが…)。さらに、「僕は、あなた達の隣に住んで、クリケットをやりたい」と言う。デニスは、誤りを認めたことを讃え、ジュディに。「デイヴィッドの謝罪、受け入れるだか? お前が選びゃいいで。嫌ならそれでええ」と尋ねる。ジュディは、謝罪を受け入れて握手する(3枚目の写真)。その後で、デニスは、両親と一緒に引っ越すよう 優しく諭す。デニス役のデルロイ・リンドーは実に良い味を出している。
  
  
  

和解が成立した後で、デニスは、「俺たちは、ピクニックみたいなもんを考えとるだ。とっても特別なやつだで」と話しかける(1枚目の写真)。「お前さんにも来て欲しい。できりゃあ 一家全員で。土曜日だでな」。デイヴィッドに断れるわけがない。しかし、土曜は、ジュニアチャレンジカップのための大切な試合の日だ。学校でキャプテンにそのことを話す時、デイヴィッドは顔を合わせないようにしている(2枚目の写真)。「ジュニアチャレンジカップより大事なものがあるのか?」。「いつか 説明するよ」〔…と、こんな感じで、デイヴィッドは話している。しかし、キャプテンは前シーズンから活躍してるという設定なので、デイヴィッドよりは年上のはずで、もっと敬意を払ってもいいと思うのだが〕〔そもそも、なぜ両者を同じ土曜に設定したのだろう? 試合は別の日にして、その前のピニクックで ジ・エンドにしてもいいのに…〕
  
  

この映画の中で、一番心温まるのは、このシーンかもしれない。母と父が近所の家を訪れて何事かを頼んでいる(1枚目の写真)。そして、しばらくして、大勢の住民がサミュエルズ家に入って行く(2枚目の写真)。サミュエルズ一家は「ピクニックに出かけていないので、入口で迎えているのは父と、サミュエルズ夫人の妹(?)。この結果は、最後にならないと分からない。
  
  

ピクニックは、ジャマイカ風の楽団も芝生の上で演奏し、盛り上がっている。デイヴィットはジュディにプレゼントを渡す。渡す理由などないので、改めての謝罪を込めてであろう。ジュディが包み紙を取ると、中にはデイヴィッドが宝にしていたサリー・チームのサイン入りのバットが入っていた。ジュディは当然のことをした。もう謝罪を受け入れたので、宝物は受け取らない。ジュディは「心」だけもらい、お礼にデイヴィッドの頬に軽くキスする(1枚目の写真)〔この時もリアクショアンはゼロ。デイヴィッドは人形なのか?〕。次のシーンでは、デイヴィッドがストライカー、ジュディがノンストライカーになって打撃を披露(2枚目の写真)。そこに、サミュエルズ家での用の済んだ父がやってくる。デニスは喜んで迎えに行き、素人の父にも一番外側のフィールダーを任せる。そして参加者には、拍手を要請。パーティの企画者として、盛り上げに最大限努力している。母は、父の元に寄って行く。「終わったぞ」。「良かったわね」。これはサミュエルズ家での作業の報告だ。「引越し業者も予約した。だが、ここに留まるべきなのかな?」。「もう、遅すぎるわ」。「ウィルソンの連中〔デブ女とバカ息子〕に、追い払ってやったと思わせたくない」。「そんなこと思わないわよ」。「私は、ただより良い環境を求めただけだ。長いこと貧しかったから」。「どうして、手紙〔嫌がらせの紙〕のこと言ってくれなかったの?」。「心配させたくなかった」。「もう子供じゃないわ。結婚した時の女の子じゃないのよ」。「そうとも。ずっと素敵になった」。そう言うと、父は母の手を取る。そして、「君なしでは、家には何の意味もない」と心のうちを語る(3枚目の写真)。「分かってるわ」。ここも良いシーンだ〔母の「浮気」シーンは、何のために入れたのだろう?〕
  
  
  

そこに、ワレルとソバーズが来賓として到着。これがピクニックのスペシャル・サプライズだ。日本のプロ野球で言えば、現役時代に、長嶋と王が一緒にやってきたくらいのインパクトだ。参加者からは一斉に歓声が上がる。これがあったから、デニスはデイヴィッドを招待したのだ。ソバーズは、デイヴィッドのバッツマンになってくれる。すごい体験だ。緊張するデイヴィッド(1枚目の写真、いつもの表情と同じ。感激もないし、緊張もない!)。ソバーズは、革靴に外出着、プラス、手加減してくれたこともあってか(2枚目の写真、矢印は投げたボール)、デイヴィッドの打球は2ランを獲得。その次の「容赦しない」球も見事に捉えて長打し、父が取り損ねて4ランになる。ソバーズは、デニスに向かって、「すごいよ。すごすぎる。あんたには長いこと投げてきたけど、完敗だ!」と賞賛し、参加者を笑わせる(3枚目の写真)。最後に、遠望だが、デイヴィッドが父に抱き付くシーンがいい。
  
  
  

パーティが終わり、2家族が家に戻る。サミュエルズ家では、デニスに目を閉じさせて、家族全員で裏庭に導いていく。そして、「開けていいわ」と言われてデニスが目を開けると、そこにはきれいに作り直されたクリケット・ネットがあった(1枚目の写真)。デイヴィッドの家の反対側の裏庭からは、ネットの再建に携わった人たちが笑顔を浮かべて見ている(2枚目の写真)。中には、「ヤセ女」もいる。デイヴィッドの家の裏庭では、父と母と妹が笑って見ている。デイヴィッドは自分の部屋から笑顔を見せている(3枚目の写真)。ネットの再建は、地区としてのサミュエルズ家に対する謝罪と和解の象徴であろう。デブ女がいないのは、恥ずかしくなって住んでいられなくなったと思いたい。
  
  
  

サミュエルズ家では、近所の人を招いたお茶会が行われている。一方、デイヴィットは自分の部屋で、集めたクリケットカードをすべて床に並べている。CGで、カードの写真の選手がすべて動くのが面白い。それは、デイヴィッドが彼らと空想上の会話をしているから。「みんな、こういう訳なんだ〔This is how it is〕。僕は、もうすぐいなくなって、君らは一緒に来ない」。選手の1人が、「お別れだな」と言う。「ごめんね」。選手たち:「いつかは、卒業する時が来る」「もうそんな年じゃない」。「心配しなくていいよ。ちゃんとした子に託すから」。ここで、ソバーズが「さよなら、デイヴィッド」と言う。19世紀に活躍したアマチュアの選手グレース(W. G. Grace)が最初に拍手し、すべてのカードの選手が拍手する(1枚目の写真)。そして、引越しの日。家の前にはトラックが停まり、作業員が2人、声がかかるのを待っている。サミュエルズ家の裏庭では、ジュディの妹のドロシーが、デイヴィッドから贈られたクリケットカードを見ている。ネットの奥では、父がバッツマンとしての指導をデイヴィッドから受けて、何とかバットに当てようとしている(2枚目の写真)。映画の最後は、上からの俯瞰映像(3枚目の写真)。両家の裏庭の様子がよく分かる。ネットの入口立っているのはデニス。ネットの中に座って矢印のカードを見ているのは夫人。その向かいにはドロシーが座っているが、ネットに隠れて見えない。一方、デイヴィッドの家の裏口では引越しを控えた母が様子を見ている。
  
  
  

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